健康美人―運動とやきとん―
sunbears7
マッキ―さん、なるほど!素晴らしい文章です!
さて、わたくしは、本日も、退勤後、赤ちょうちんへ立ち寄りたい気持ちを抑えて、日課としているスポーツジムへ行ってまいりました。
順序としては、まず、激しい筋トレを行い、プロテインを摂取後、長く退屈なランニングマシーンでランニングを行います。
インストラクターの先生からは、「sunbears7さんの年齢から考えて、速度は、時速6kmで、時間は15分程度で大丈夫ですよ。」と診断いただいておりますが、隣に若い女性が走っていると、ついつい速度を上げてしまいます。
だいたい、速度は時速11km~13kmで時間は約120分、距離は約20km以上、カロリー消費は毎回1500cal以上、体重も約3㎏以上減量しております1)。
体重は、トレーニング前は約67㎏、トレーニング後は、一時的に約63㎏になります2)。
おかげで、12月1日の入会当初は、体重70㎏程度で、高血圧でしたが、いまは、逆に低血圧になりました。
体力的には、2時間くらい平気ですが、スニーカーのサイズが合わないせいか、足の爪がほとんど真っ黒になるほど痛いです。
また、汗を大量に掻くため、走行中はあまりいい気持ちではありません。
でも、途中で、停止すると、データが台無しになるため、止められません^^;
現在も、始めるまでは、「なんでお金を払ってまで、こんな辛いトレーニングを・・・。」と思ってしまいます。
一方で、お金を払ってまで、授業を受ける生徒や学生の気持ちがわかるような気がいたします。
ただ、トレーニング後は、身体が軽くなり、何とも言えない満足感でいっぱいになります。
その後は、店長含めて店員全員が女性だけになった居酒屋さん、○○○池袋4号店へと立ち寄り、結局3㎏太って帰ることになりますが、今では、お腹も固くなり、身体のコリも解消し、毎日健康に生活いたしております。
「健康維持、風呂代・ガス代節約のため」というのは、もちろん建前で、本当は健康美人との出逢いを求めて入会したことが第一のきっかけです。
ただ、運動後の気分は爽快で、帰宅後も、風呂に入らずそのまま寝られるし、「行ってよかった~!」という気分になります。
ということで、みなさんにも、適度な運動をお勧めいたします。
注
(1)体重については、プロテイン摂取で約0.3kg増量し、入浴で約0.6kg減量するため、トレーニング後も、風呂から上がり体重計に乗るまでは、一切、水分補給ができません。
(2)ランニングマシーンは、1回30分が限度なので、マシーンを4回以上、乗り継いで、行わなければなりません。
「30分、時速10km以上、走行距離約5km以上、カロリー消費400kal以上」×4セット
3km ウォーク(walk)
6km ジョグ(jog)
9km ラン(run)
11km~13km 自分
マッキ―さん、なるほど!素晴らしい文章です!
さて、わたくしは、本日も、退勤後、赤ちょうちんへ立ち寄りたい気持ちを抑えて、日課としているスポーツジムへ行ってまいりました。
順序としては、まず、激しい筋トレを行い、プロテインを摂取後、長く退屈なランニングマシーンでランニングを行います。
インストラクターの先生からは、「sunbears7さんの年齢から考えて、速度は、時速6kmで、時間は15分程度で大丈夫ですよ。」と診断いただいておりますが、隣に若い女性が走っていると、ついつい速度を上げてしまいます。
だいたい、速度は時速11km~13kmで時間は約120分、距離は約20km以上、カロリー消費は毎回1500cal以上、体重も約3㎏以上減量しております1)。
体重は、トレーニング前は約67㎏、トレーニング後は、一時的に約63㎏になります2)。
おかげで、12月1日の入会当初は、体重70㎏程度で、高血圧でしたが、いまは、逆に低血圧になりました。
体力的には、2時間くらい平気ですが、スニーカーのサイズが合わないせいか、足の爪がほとんど真っ黒になるほど痛いです。
また、汗を大量に掻くため、走行中はあまりいい気持ちではありません。
でも、途中で、停止すると、データが台無しになるため、止められません^^;
現在も、始めるまでは、「なんでお金を払ってまで、こんな辛いトレーニングを・・・。」と思ってしまいます。
一方で、お金を払ってまで、授業を受ける生徒や学生の気持ちがわかるような気がいたします。
ただ、トレーニング後は、身体が軽くなり、何とも言えない満足感でいっぱいになります。
その後は、店長含めて店員全員が女性だけになった居酒屋さん、○○○池袋4号店へと立ち寄り、結局3㎏太って帰ることになりますが、今では、お腹も固くなり、身体のコリも解消し、毎日健康に生活いたしております。
「健康維持、風呂代・ガス代節約のため」というのは、もちろん建前で、本当は健康美人との出逢いを求めて入会したことが第一のきっかけです。
ただ、運動後の気分は爽快で、帰宅後も、風呂に入らずそのまま寝られるし、「行ってよかった~!」という気分になります。
ということで、みなさんにも、適度な運動をお勧めいたします。
注
(1)体重については、プロテイン摂取で約0.3kg増量し、入浴で約0.6kg減量するため、トレーニング後も、風呂から上がり体重計に乗るまでは、一切、水分補給ができません。
(2)ランニングマシーンは、1回30分が限度なので、マシーンを4回以上、乗り継いで、行わなければなりません。
「30分、時速10km以上、走行距離約5km以上、カロリー消費400kal以上」×4セット
3km ウォーク(walk)
6km ジョグ(jog)
9km ラン(run)
11km~13km 自分
放送大学を批判した教授
多様化するニーズに対応できない教育の現状に対して、ある時は行政の怠慢が批判され、またある時は公教育に過大な期待を押しつけてしまう受け手の問題点が指摘される。
日本のように高齢化する社会では、青少年の教育だけではなく、一生を見通した生涯教育も重要なテーマであり、広く国民全体に学ぶチャンスを提供することは、重要なことである。
今日述べる内容は、そうした教育の在り方を私に考えさせた、最近の出来事である。
某有名大学教授と名乗る矢吹樹氏がツイッター上で、「最近、無名大学だけでなく有名大学でも放送大学を卒業して教授になっている人がいるけど、これってありですか? 本当の大学を卒業していないのですから、大学というもの自体を理解していないと思うのですが…。こんな教授に教わる学生がかわいそう」などと、放送大学批判を展開した。
矢吹樹氏がまっとうな教育者なら、今の日本で放送大学を卒業して教授になることが、いかにハードルが高く、多大な労苦を必要とするかを考慮すれば、そうした事例が称賛に値すると評価すべきである。
このツイートに対して、「OBAKE」のハンドルネームを持つ人物が、「本当の大学の定義ってなんですか? 放送大学は正式の大学ですが…」と反論した。
すると、この矢吹樹氏は、「それが分からないということは、貴方は放送大学出身ですか?そういう質問をすること自体が、放送大学なんですよ。違いがわからない人間が大学の教授にはなってはいけないということです」と応えた。
それに対し「OBAKE」氏が返答で発した一言は、誰しもが「水戸黄門の印籠」を連想した、痛快な一撃だった。
「私は学長です。」
この「OBAKE」のハンドルネームをもつ人物こそ、岡部の「OKABE」のKとBを入れ替えた、放送大学学長であり、東大名誉教授の岡部洋一氏であった。
相手が、自分がこき下ろした放送大学の学長であることを知ったとき、某有名大学教授と名乗る矢吹樹氏は、自由気ままなツイッターの世界から、突如現実の世界に引き戻され、狼狽したことだろう。
私がこのツイッター上の出来事で思ったことの一点目は、この出来事で脚光を浴びた放送大学の実態がどのようなものかということである。
調べてみると放送大学で学んでいる学生の年齢は、30代・40代を合わせると在籍者の半数にあたり、高齢者もかなりの数に上る。
そうした現状を鑑みても、9万名を数える学生を擁する放送大学の存在意義は、現代社会では大きい。
私の知人に、「アートソムリエ」を自称し、美術マーケット拡大のためのアイデアを提起し、アート普及のため積極的に活動している山本冬彦氏という方がいる。
彼は、私が提案し発足させた美術愛好家の会「美学社」、後の「美楽舎」で、私の次に代表に就いた人物である。
その山本氏は、民間企業を退職後、放送大学学園理事を務め、退官後一学生になり毎期1科目づつ受講しようと決心して、放送大学で「日本美術史」など美術関連の学習をしているという。
いつでも、どこでも、誰でも、思い立ったら大学で学ぶことが出来る教育システムとして、また硬直化した現代の教育を改善する一つの在り方として、放送大学は評価できる。
次に考えたことは、虚構世界のゲームと同様な感覚でネット上で行われている、過激な言葉によるバトルの危険性である。
これは、相手を傷つけるだけではなく、ブーメランの如くその刃は自分に戻ってくる。
たいへん恐いのは、ハンドルネーム矢吹樹氏が、ツイッターの発言等から人物が特定されてしまったことだ。
矢吹樹氏とは、群馬大学医学部・江本正志教授であることが判明し、ツイッターの世界のみならず、現実の世界において批判の矢面に立たされている。
匿名で気軽にツイートした言葉が、本人が意図しないとんでもない方向に、進展してしまうことがある。
匿名のツイッターで発した言葉は、その性質上、自分が思っている以上に感情的かつ扇動的に広まってしまう傾向がある。
軽い気持ちで発した言葉が、特に自分が過去にやってしまった愚行の暴露が、後で取り返しのつかないことになってしまった出来事は、枚挙にいとまがない。
今回えらいことになった矢吹氏は、矢吹の文字を分解すると、知欠と読める。
ハンドルネームを付けるときから、すでに彼はミスを犯したようだ。
(文:マッキー)
日本のように高齢化する社会では、青少年の教育だけではなく、一生を見通した生涯教育も重要なテーマであり、広く国民全体に学ぶチャンスを提供することは、重要なことである。
今日述べる内容は、そうした教育の在り方を私に考えさせた、最近の出来事である。
某有名大学教授と名乗る矢吹樹氏がツイッター上で、「最近、無名大学だけでなく有名大学でも放送大学を卒業して教授になっている人がいるけど、これってありですか? 本当の大学を卒業していないのですから、大学というもの自体を理解していないと思うのですが…。こんな教授に教わる学生がかわいそう」などと、放送大学批判を展開した。
矢吹樹氏がまっとうな教育者なら、今の日本で放送大学を卒業して教授になることが、いかにハードルが高く、多大な労苦を必要とするかを考慮すれば、そうした事例が称賛に値すると評価すべきである。
このツイートに対して、「OBAKE」のハンドルネームを持つ人物が、「本当の大学の定義ってなんですか? 放送大学は正式の大学ですが…」と反論した。
すると、この矢吹樹氏は、「それが分からないということは、貴方は放送大学出身ですか?そういう質問をすること自体が、放送大学なんですよ。違いがわからない人間が大学の教授にはなってはいけないということです」と応えた。
それに対し「OBAKE」氏が返答で発した一言は、誰しもが「水戸黄門の印籠」を連想した、痛快な一撃だった。
「私は学長です。」
この「OBAKE」のハンドルネームをもつ人物こそ、岡部の「OKABE」のKとBを入れ替えた、放送大学学長であり、東大名誉教授の岡部洋一氏であった。
相手が、自分がこき下ろした放送大学の学長であることを知ったとき、某有名大学教授と名乗る矢吹樹氏は、自由気ままなツイッターの世界から、突如現実の世界に引き戻され、狼狽したことだろう。
私がこのツイッター上の出来事で思ったことの一点目は、この出来事で脚光を浴びた放送大学の実態がどのようなものかということである。
調べてみると放送大学で学んでいる学生の年齢は、30代・40代を合わせると在籍者の半数にあたり、高齢者もかなりの数に上る。
そうした現状を鑑みても、9万名を数える学生を擁する放送大学の存在意義は、現代社会では大きい。
私の知人に、「アートソムリエ」を自称し、美術マーケット拡大のためのアイデアを提起し、アート普及のため積極的に活動している山本冬彦氏という方がいる。
彼は、私が提案し発足させた美術愛好家の会「美学社」、後の「美楽舎」で、私の次に代表に就いた人物である。
その山本氏は、民間企業を退職後、放送大学学園理事を務め、退官後一学生になり毎期1科目づつ受講しようと決心して、放送大学で「日本美術史」など美術関連の学習をしているという。
いつでも、どこでも、誰でも、思い立ったら大学で学ぶことが出来る教育システムとして、また硬直化した現代の教育を改善する一つの在り方として、放送大学は評価できる。
次に考えたことは、虚構世界のゲームと同様な感覚でネット上で行われている、過激な言葉によるバトルの危険性である。
これは、相手を傷つけるだけではなく、ブーメランの如くその刃は自分に戻ってくる。
たいへん恐いのは、ハンドルネーム矢吹樹氏が、ツイッターの発言等から人物が特定されてしまったことだ。
矢吹樹氏とは、群馬大学医学部・江本正志教授であることが判明し、ツイッターの世界のみならず、現実の世界において批判の矢面に立たされている。
匿名で気軽にツイートした言葉が、本人が意図しないとんでもない方向に、進展してしまうことがある。
匿名のツイッターで発した言葉は、その性質上、自分が思っている以上に感情的かつ扇動的に広まってしまう傾向がある。
軽い気持ちで発した言葉が、特に自分が過去にやってしまった愚行の暴露が、後で取り返しのつかないことになってしまった出来事は、枚挙にいとまがない。
今回えらいことになった矢吹氏は、矢吹の文字を分解すると、知欠と読める。
ハンドルネームを付けるときから、すでに彼はミスを犯したようだ。
(文:マッキー)
Dan・Sya・Ri (by kanz)
断捨離(ダンシャリ)ブームなんだそうである。
断=入ってくる要らない物を断つ
捨=家にずっとある要らない物を捨てる
離=物への執着から離れる
いらなくなったものに囲まれ、しかもそれを捨てきれず、心穏やかならざる日々をすごす、片付けられない人々の救世主といった様相である。
元来物欲に乏しい人種から見れば、何を悩んでいるのかよくわからないのだが、せっせと糞を溜め込んでどこに隠したのか忘れてしまうフンコロガシ同様、どこかで世の中の役に立っていると思えば救われるのではなかろうか。
物欲がないと思っていても、捨てる勇気がなければ、いつしかごみ同然のものを後生大事に抱えこんでいることに気づく。
冷蔵庫の中で腐るまで放置される食品、たんすの中で何十年も眠り続ける洋服、買ったままついに一度も読まれなかった本などなど。
結局、捨てられないものは、それらを何かに活かせるのではないかという自分への期待であろうか。あるいは、それらとともに消え去る自分の過去への郷愁であろうか。
何十年も変わらぬ生活習慣や仕事もまた、捨てきれないものではある。
捨てないこと、止めないことを粘り強さととらえるか、あるいは執着ととらえるか、難しいところだが、まだ見ぬ世界があるような気がして、もうちょっとウロウロしていたい気持ちはなかなか捨てられない。
断=入ってくる要らない物を断つ
捨=家にずっとある要らない物を捨てる
離=物への執着から離れる
いらなくなったものに囲まれ、しかもそれを捨てきれず、心穏やかならざる日々をすごす、片付けられない人々の救世主といった様相である。
元来物欲に乏しい人種から見れば、何を悩んでいるのかよくわからないのだが、せっせと糞を溜め込んでどこに隠したのか忘れてしまうフンコロガシ同様、どこかで世の中の役に立っていると思えば救われるのではなかろうか。
物欲がないと思っていても、捨てる勇気がなければ、いつしかごみ同然のものを後生大事に抱えこんでいることに気づく。
冷蔵庫の中で腐るまで放置される食品、たんすの中で何十年も眠り続ける洋服、買ったままついに一度も読まれなかった本などなど。
結局、捨てられないものは、それらを何かに活かせるのではないかという自分への期待であろうか。あるいは、それらとともに消え去る自分の過去への郷愁であろうか。
何十年も変わらぬ生活習慣や仕事もまた、捨てきれないものではある。
捨てないこと、止めないことを粘り強さととらえるか、あるいは執着ととらえるか、難しいところだが、まだ見ぬ世界があるような気がして、もうちょっとウロウロしていたい気持ちはなかなか捨てられない。
大学の秋入学
大学の秋入学への移行についての議論が活発化しています。
学事歴のサイクルを国際標準に合わせることで、
海外留学生の受け入れと日本人の海外留学との両面において便宜が図れ、
ひいてはそれが、日本の大学の国際競争力の強化にもつながると期待されています。
問題のひとつは、その他の制度が現行のままだとすると、
入学前と卒業後の各6か月間つまりは合計で1年間の待機期間が発生してしまうということです。
大学生を持つ家庭にとってはその分、経済的な負担増となりますが、
一方ではそれを新たなビジネスの機会として積極的に捉えようとする向きもあります。
個人的な意見としては、いっそのこと完全なセメスター制を導入すればいいのではないかとも考えています。
学事歴のサイクルを国際標準に合わせることで、
海外留学生の受け入れと日本人の海外留学との両面において便宜が図れ、
ひいてはそれが、日本の大学の国際競争力の強化にもつながると期待されています。
問題のひとつは、その他の制度が現行のままだとすると、
入学前と卒業後の各6か月間つまりは合計で1年間の待機期間が発生してしまうということです。
大学生を持つ家庭にとってはその分、経済的な負担増となりますが、
一方ではそれを新たなビジネスの機会として積極的に捉えようとする向きもあります。
個人的な意見としては、いっそのこと完全なセメスター制を導入すればいいのではないかとも考えています。
節分。
"季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊ばらい行事が執り行われる。”
と、言われる節分。
すでに、過ぎてしまった時事ですが、自身は、久しぶりに“豆”を食べました。
新たに気持ちが引き締める感じで”豆”を食べるっていいですね。
と、言われる節分。
すでに、過ぎてしまった時事ですが、自身は、久しぶりに“豆”を食べました。
新たに気持ちが引き締める感じで”豆”を食べるっていいですね。
「超高齢社会における福祉と効用―幸福の尺度-」
「超高齢社会における福祉と効用―幸福の尺度-」
sunbears7
みなさん、あけましておめでとうございます。
今年で、40歳になってしまいます。
昨年の3月までは、塾や大学への出講以外は、「葬儀社」の深夜勤をいたしておりましたが、4月からは、「終末期」つながりで、「福祉関係の大学」に勤務いたしております。
とりわけ、「葬儀」や「福祉」に興味があるわけではないのですが、「前者」は、生活のため、また、「後者」は、たまたま引っかかって入れていただいた職場が「福祉関係の大学」ということで、現在は、こちらで常勤職として勤務させていただいております。
さて、周知の事実ですが、昨年、日本の「GDP(1)」は、中国に抜かれ、世界第3位となりました(ただ、1人当たりGDPで比較すると、日本のGDPが42,820.39 U.S.ドルで世界第16位、中国のGDPが4,382.14 U.S.ドルで世界第93位、現在も、日本のGDPは中国のGDPの10倍近くもあります。ちなみに、第1位は、アメリカでもイギリスでもなく、ルクセンブルクという国で、その額は108,831.70 U.S.ドルです。)(2)。
その一方、近年では、日本だけでなく、中国や韓国でも、「高齢化」が急速に進んでおります。ちなみに、昨年、日本の全人口に占める「65歳以上人口」は、23.1%を超え、「超高齢社会(3)」に突入いたしました。
そのため、いまの日本にとっては、「経済」よりも「福祉」のほうが圧倒的に重要ですし、多くの大学では、学生のニーズに合わせて、「経済学部」を廃止しようという傾向にあるようです。
とはいっても、「将来の社会保障の財源」という観点からみると、「福祉」と「経済」には密接な関係があります(財・サービスの消費者が負担し、供給者が納める「消費税の社会保障目的税化」には、あまり賛同できませんが。)。
また、「福祉サービスの提供を主とした事業者」という観点からみると、「福祉」と「経営」も切り離して考えることはできません(経営≠利潤追求です。)。
私自身、進学塾では、「国語科」や「社会科」を中心とした「人文・社会科学系科目」の教歴が11年、大学では、「ミクロ経済学」や「マクロ経済学」といった「社会科学系科目」の教歴が5年ほどございますが、「社会科」教育と「経済」や「福祉」との関係をよく考えることがあります。
経済学では、「社会科」や「ミクロ経済学」で登場する「家計(≒消費者)」、「企業(≒生産者)」、「政府」といった「各経済主体(プレイヤー)」が、「マクロ経済学」で登場する「財・サービス市場」、「貨幣市場」、「労働市場」といった「各市場(財・サービス、貨幣、労働力などの需要や供給といった取引を行う場所)」で経済活動を行います。
そこでは、「供給」したものはすべて「需要」され、「財・サービス市場」では、売れ残り(供給>需要)も品不足(供給<需要)もなく、「労働市場」でも、職に溢れること(供給>需要)も労働者不足(供給<需要)もないということが前提となっております。
そのため、「家計」は、効用(消費から得られる満足度)を最大化し、「企業」は利潤(4)を最大化することが前提となっております(もちろん、現実ではありえない仮定ですが)。
一方、「福祉系科目」に関しては,まったくの素人でございますが、「厚生経済学」とか「新福祉経済論」といった領域の「関連科目」については、よく耳にいたします。
たとえば、「ノーベル経済学者」の「アマルティア・セン」という方の「新福祉経済学」では,「厚生の大小」は、「人間としての尊厳」を損なわれることなく、「選択の自由度」によって、「潜在能力(ケイパビリティ)」を発揮できるかどうかによって決まるものであり、「主流派経済学」の主張するような「効用」の最大化では、それを測ることができない、とおっしゃっています。
こうした意味で、「経済学」と「福祉理論」との「つなぎ目」、あるいは「福祉理論」を学ぶうえでの重要な「基礎科目」は、「厚生経済学」や「新福祉経済論」ということになるかもしれません。
ただ、それ以前に、「ミクロ経済学」において前提となっている「家計」の行動の前提についても、いま一度考え直してみることが必要だと考えます。
たしかに、「人間の幸福度」を測る尺度は、市場が介在する「GDP」でも、消費から得られる「効用」でもなく、「選択の自由度」や「地球幸福度指数」、あるいは「国民総幸福量」かもしれません。
ただ、世界中で後者の3つを測定するためには、膨大な時間と労力を要する作業となり、あまり現実的ではなさそうです。
また、前者についても、「企業」が供給する「財・サービス」がすべて売れるわけではなく、「財・サービス市場」では、売れ残りが発生する一方、「家計」が供給する「労働力」がすべて売れるわけでもなく、「労働市場」では、失業が発生しているほうが常態です。
そのため、すべての会社の売れ行きが好調(利潤の最大化)で、すべての人間の生活が豊か(効用の最大化)であるという状態は、こちらもあまり現実的ではなさそうです。
さらに、「幸福」といっても、何が「幸福」なのかは、金持ちや生活困窮者を問わず、人それぞれです。
私の場合は、起業したり、経営者になったりする根性はなく、私にとっての「幸福」は、金持ちになることでもありません。
ただ、毎月安定した生活費を稼いで、ビールが飲めて、値段を気にすることなく居酒屋チェーン店に通うことができ、老後の心配をする必要のない生活を送ることができ、また、親が長生きしてくれて、控えめで、優しく、穏やかな奥さんをもらい、子孫を残すことができれば、それが私にとっての一番の「幸せ」です(こうした普通の日常生活を営むことのできる人は、意外に少ないかもしれません。)
私自身も、昨年3月までは、貯金もなく、ホームレスと紙一重の生活を送っており、「選択の自由度」を損なわれる寸前の境遇にございました(もちろん、生活に追われて、深夜勤労働をして、勉強する時間がないのはもちろん、離婚をしたり、失恋をするのも、すべて自分のせいで、金がないのも、言い訳にはならないと、自身に言い聞かせてはおりましたが。)。
こうしたなか、昨年4月をもちまして、長い中高年不安定労働者生活から卒業することとなりました。
これまでは、青い鳥を追いかけながらも、失うことも多く、寂しく不安な生活を送っておりました。
これからは、恋愛をしたり、趣味をもったりと、普通?の生活を送ることができるようになると思うと、喜びも一入でございます。
ただ、その前に、これまで、お世話になった、あるいは現在もお世話になっている多くの方からのご恩に報いていくことが大前提です。
未だに彼女はいませんが、これからも、「反省と研鑽」を重ね、「諸悪の根源我にあり」、「冷徹な頭脳と温かい心 - Cool Head But Warm Heart -」の精神で、教育研究に励んでまいります。
今年も、ご指導・ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。
長文となってしまい、論点のわかりづらい「独りよがりな日記」となってしまいましたが、ご笑覧いただければ幸いです。
(注)
(1)GDP(Gross National Product)国内総生産。
ある年において、ある国において生産されたすべての財・サービスの付加価値(完成品から原材料費などを除く新たに生み出された価値)合計額。
(2)対象国181か国、比較年度2010年。
世界の経済・統計情報サイト〔2011〕, 「世界の一人当たりの名目GDP(USドル)ランキング」世界経済のネタ帳(http://ecodb.net/ranking/imf_ngdpdpc.html)。
(3)高齢化。
・高齢化社会 全人口に占める65歳以上人口が7%-14%
・高齢社会 全人口に占める65歳以上人口が14%-21%
・超高齢社会 全人口に占める65歳以上人口が21%以上
(4)利潤(≒利益)。
利潤(≒利益) = 売上(収益) - 費用(固定費 + 変動費)
sunbears7
みなさん、あけましておめでとうございます。
今年で、40歳になってしまいます。
昨年の3月までは、塾や大学への出講以外は、「葬儀社」の深夜勤をいたしておりましたが、4月からは、「終末期」つながりで、「福祉関係の大学」に勤務いたしております。
とりわけ、「葬儀」や「福祉」に興味があるわけではないのですが、「前者」は、生活のため、また、「後者」は、たまたま引っかかって入れていただいた職場が「福祉関係の大学」ということで、現在は、こちらで常勤職として勤務させていただいております。
さて、周知の事実ですが、昨年、日本の「GDP(1)」は、中国に抜かれ、世界第3位となりました(ただ、1人当たりGDPで比較すると、日本のGDPが42,820.39 U.S.ドルで世界第16位、中国のGDPが4,382.14 U.S.ドルで世界第93位、現在も、日本のGDPは中国のGDPの10倍近くもあります。ちなみに、第1位は、アメリカでもイギリスでもなく、ルクセンブルクという国で、その額は108,831.70 U.S.ドルです。)(2)。
その一方、近年では、日本だけでなく、中国や韓国でも、「高齢化」が急速に進んでおります。ちなみに、昨年、日本の全人口に占める「65歳以上人口」は、23.1%を超え、「超高齢社会(3)」に突入いたしました。
そのため、いまの日本にとっては、「経済」よりも「福祉」のほうが圧倒的に重要ですし、多くの大学では、学生のニーズに合わせて、「経済学部」を廃止しようという傾向にあるようです。
とはいっても、「将来の社会保障の財源」という観点からみると、「福祉」と「経済」には密接な関係があります(財・サービスの消費者が負担し、供給者が納める「消費税の社会保障目的税化」には、あまり賛同できませんが。)。
また、「福祉サービスの提供を主とした事業者」という観点からみると、「福祉」と「経営」も切り離して考えることはできません(経営≠利潤追求です。)。
私自身、進学塾では、「国語科」や「社会科」を中心とした「人文・社会科学系科目」の教歴が11年、大学では、「ミクロ経済学」や「マクロ経済学」といった「社会科学系科目」の教歴が5年ほどございますが、「社会科」教育と「経済」や「福祉」との関係をよく考えることがあります。
経済学では、「社会科」や「ミクロ経済学」で登場する「家計(≒消費者)」、「企業(≒生産者)」、「政府」といった「各経済主体(プレイヤー)」が、「マクロ経済学」で登場する「財・サービス市場」、「貨幣市場」、「労働市場」といった「各市場(財・サービス、貨幣、労働力などの需要や供給といった取引を行う場所)」で経済活動を行います。
そこでは、「供給」したものはすべて「需要」され、「財・サービス市場」では、売れ残り(供給>需要)も品不足(供給<需要)もなく、「労働市場」でも、職に溢れること(供給>需要)も労働者不足(供給<需要)もないということが前提となっております。
そのため、「家計」は、効用(消費から得られる満足度)を最大化し、「企業」は利潤(4)を最大化することが前提となっております(もちろん、現実ではありえない仮定ですが)。
一方、「福祉系科目」に関しては,まったくの素人でございますが、「厚生経済学」とか「新福祉経済論」といった領域の「関連科目」については、よく耳にいたします。
たとえば、「ノーベル経済学者」の「アマルティア・セン」という方の「新福祉経済学」では,「厚生の大小」は、「人間としての尊厳」を損なわれることなく、「選択の自由度」によって、「潜在能力(ケイパビリティ)」を発揮できるかどうかによって決まるものであり、「主流派経済学」の主張するような「効用」の最大化では、それを測ることができない、とおっしゃっています。
こうした意味で、「経済学」と「福祉理論」との「つなぎ目」、あるいは「福祉理論」を学ぶうえでの重要な「基礎科目」は、「厚生経済学」や「新福祉経済論」ということになるかもしれません。
ただ、それ以前に、「ミクロ経済学」において前提となっている「家計」の行動の前提についても、いま一度考え直してみることが必要だと考えます。
たしかに、「人間の幸福度」を測る尺度は、市場が介在する「GDP」でも、消費から得られる「効用」でもなく、「選択の自由度」や「地球幸福度指数」、あるいは「国民総幸福量」かもしれません。
ただ、世界中で後者の3つを測定するためには、膨大な時間と労力を要する作業となり、あまり現実的ではなさそうです。
また、前者についても、「企業」が供給する「財・サービス」がすべて売れるわけではなく、「財・サービス市場」では、売れ残りが発生する一方、「家計」が供給する「労働力」がすべて売れるわけでもなく、「労働市場」では、失業が発生しているほうが常態です。
そのため、すべての会社の売れ行きが好調(利潤の最大化)で、すべての人間の生活が豊か(効用の最大化)であるという状態は、こちらもあまり現実的ではなさそうです。
さらに、「幸福」といっても、何が「幸福」なのかは、金持ちや生活困窮者を問わず、人それぞれです。
私の場合は、起業したり、経営者になったりする根性はなく、私にとっての「幸福」は、金持ちになることでもありません。
ただ、毎月安定した生活費を稼いで、ビールが飲めて、値段を気にすることなく居酒屋チェーン店に通うことができ、老後の心配をする必要のない生活を送ることができ、また、親が長生きしてくれて、控えめで、優しく、穏やかな奥さんをもらい、子孫を残すことができれば、それが私にとっての一番の「幸せ」です(こうした普通の日常生活を営むことのできる人は、意外に少ないかもしれません。)
私自身も、昨年3月までは、貯金もなく、ホームレスと紙一重の生活を送っており、「選択の自由度」を損なわれる寸前の境遇にございました(もちろん、生活に追われて、深夜勤労働をして、勉強する時間がないのはもちろん、離婚をしたり、失恋をするのも、すべて自分のせいで、金がないのも、言い訳にはならないと、自身に言い聞かせてはおりましたが。)。
こうしたなか、昨年4月をもちまして、長い中高年不安定労働者生活から卒業することとなりました。
これまでは、青い鳥を追いかけながらも、失うことも多く、寂しく不安な生活を送っておりました。
これからは、恋愛をしたり、趣味をもったりと、普通?の生活を送ることができるようになると思うと、喜びも一入でございます。
ただ、その前に、これまで、お世話になった、あるいは現在もお世話になっている多くの方からのご恩に報いていくことが大前提です。
未だに彼女はいませんが、これからも、「反省と研鑽」を重ね、「諸悪の根源我にあり」、「冷徹な頭脳と温かい心 - Cool Head But Warm Heart -」の精神で、教育研究に励んでまいります。
今年も、ご指導・ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。
長文となってしまい、論点のわかりづらい「独りよがりな日記」となってしまいましたが、ご笑覧いただければ幸いです。
(注)
(1)GDP(Gross National Product)国内総生産。
ある年において、ある国において生産されたすべての財・サービスの付加価値(完成品から原材料費などを除く新たに生み出された価値)合計額。
(2)対象国181か国、比較年度2010年。
世界の経済・統計情報サイト〔2011〕, 「世界の一人当たりの名目GDP(USドル)ランキング」世界経済のネタ帳(http://ecodb.net/ranking/imf_ngdpdpc.html)。
(3)高齢化。
・高齢化社会 全人口に占める65歳以上人口が7%-14%
・高齢社会 全人口に占める65歳以上人口が14%-21%
・超高齢社会 全人口に占める65歳以上人口が21%以上
(4)利潤(≒利益)。
利潤(≒利益) = 売上(収益) - 費用(固定費 + 変動費)
受験生の鉢巻きの効用
年末年始は元旦を除き、教室の講習会の指導に明け暮れた。
今年の小6は、自分たちで買ってきた「絶対合格」の鉢巻きを額に結び講習に臨んだ。
鉢巻きは、元来は神事に使われたものだが、武士は戦の時に鉢巻きを締め戦った。
現代では、神事のアイテムとしての鉢巻きという感覚は無い。
お祭り、総決起集会、応援団、そして学習塾受験生の鉢巻き・・・
己を鼓舞し、連帯と決意表明の道具として、鉢巻きは使われている。
受験生にとって鉢巻きの効用は?
精神的に身が引き締まる。
身体に対する物理的作用で集中力が増す。
同じものを付けることによって連帯感が増す。
鉢巻きを強制する塾は、公告効果も期待しているのかもしれない。
生徒の鉢巻きには、絶対と合格の文字の間に、日の丸が印刷されている。
これは右翼の影響と言うより、愛嬌と理解したい。
まさか、戦中の特攻隊玉砕精神の名残ではあるまいか。
それは受験生にとっては、縁起でもないことだ。
一月に入って、いよいよ受験シーズンに突入した。
すでに生徒の入試も始まり、私自身緊張の日々が続く。
あの生徒の鉢巻きは、受験生としての意識の高揚に役だったと思う。
実際、生徒たちは朝9時から夜9時まで、弁当二つ持参で頑張った。
その努力が報われ、志望校合格を勝ち取ることを、私は確信している。
(文:マッキー)

今年の小6は、自分たちで買ってきた「絶対合格」の鉢巻きを額に結び講習に臨んだ。
鉢巻きは、元来は神事に使われたものだが、武士は戦の時に鉢巻きを締め戦った。
現代では、神事のアイテムとしての鉢巻きという感覚は無い。
お祭り、総決起集会、応援団、そして学習塾受験生の鉢巻き・・・
己を鼓舞し、連帯と決意表明の道具として、鉢巻きは使われている。
受験生にとって鉢巻きの効用は?
精神的に身が引き締まる。
身体に対する物理的作用で集中力が増す。
同じものを付けることによって連帯感が増す。
鉢巻きを強制する塾は、公告効果も期待しているのかもしれない。
生徒の鉢巻きには、絶対と合格の文字の間に、日の丸が印刷されている。
これは右翼の影響と言うより、愛嬌と理解したい。
まさか、戦中の特攻隊玉砕精神の名残ではあるまいか。
それは受験生にとっては、縁起でもないことだ。
一月に入って、いよいよ受験シーズンに突入した。
すでに生徒の入試も始まり、私自身緊張の日々が続く。
あの生徒の鉢巻きは、受験生としての意識の高揚に役だったと思う。
実際、生徒たちは朝9時から夜9時まで、弁当二つ持参で頑張った。
その努力が報われ、志望校合格を勝ち取ることを、私は確信している。
(文:マッキー)

blogでtweet (by kanz)
その1
幸福度ランキングが発表される。
幸福な社会って何?
幸福な人生って何?
夢見る幸福、比べる不幸。
その2
今日の食料が得られない餓死者。
明日の安心が得られない自殺者。
生きている不思議。
その3
本音を聞くことが少々煩わしくなってきた。
建前がない本音だけの世界は野生の王国。
あるべき姿を思い描き、少しやせ我慢しながら暮らす。
その4
筋肉痛がなくなると腰痛が出てくる。
現状に不満がなくなると不幸になる。
その5
真実と真実との間を語らない。
真実の時系列を乱す。
真実の一部だけしか見せない。
積極的に嘘を語らなくても、十分過ぎる嘘となりうる。
その6
セミは7年間を地中で過ごし、1週間の地上生活を送る。
セミにとっての一生はどちらがメインなの?
その7
人口爆発を論じつつ、少子化を憂う。
その8
富と権力の継承を正当化するのが社会システム。
その9
歴史をたどると、暴力は人類に組み込まれたリセットボタンのような気がする。
その10
消化するにも体力がいる。
空腹を知らなければ体はダメになる。
お腹いっぱいの幸せは不幸を招く。
幸福度ランキングが発表される。
幸福な社会って何?
幸福な人生って何?
夢見る幸福、比べる不幸。
その2
今日の食料が得られない餓死者。
明日の安心が得られない自殺者。
生きている不思議。
その3
本音を聞くことが少々煩わしくなってきた。
建前がない本音だけの世界は野生の王国。
あるべき姿を思い描き、少しやせ我慢しながら暮らす。
その4
筋肉痛がなくなると腰痛が出てくる。
現状に不満がなくなると不幸になる。
その5
真実と真実との間を語らない。
真実の時系列を乱す。
真実の一部だけしか見せない。
積極的に嘘を語らなくても、十分過ぎる嘘となりうる。
その6
セミは7年間を地中で過ごし、1週間の地上生活を送る。
セミにとっての一生はどちらがメインなの?
その7
人口爆発を論じつつ、少子化を憂う。
その8
富と権力の継承を正当化するのが社会システム。
その9
歴史をたどると、暴力は人類に組み込まれたリセットボタンのような気がする。
その10
消化するにも体力がいる。
空腹を知らなければ体はダメになる。
お腹いっぱいの幸せは不幸を招く。
自由に生きること
最近、社会的自由という言葉を知りました。
社会的自由とは他者との関係において生じる義務や責任を引き受けることによる自由ということです。
人間は他人の幸福の促進に関わる自由があり、そうした活動に携わることこそ本当の幸いであるとの考え方が根底にあります。
自由といえばふつう、何らかの強制や抑圧や脅威などから逃れていること(消極的自由)、
あるいは自分がしたいことをしたり、関わりたいことに携われること(積極的自由)などがイメージされます。
前者の自由はよく「~からの自由」と呼ばれ、後者は「~への自由」として表現されます。
同じように表現するならば、社会的自由とは「~ゆえの自由」といえるでしょうか。
他者と共に生き、他者の幸福の実現に関わりながら生きているがゆえに、人間は自由な存在なのです。
3.11以降、震災後の社会の現実について語れない思想や学問はもはや何の役にも立たないともいわれています。
そうした中、社会的自由という考え方は、これからの自由を考える上でひとつの方向性を示唆しているように思います。
そしてNPOという組織は、この意味での自由を作り出していく可能性を大いに持っているのではないかとも考えています。
社会的自由とは他者との関係において生じる義務や責任を引き受けることによる自由ということです。
人間は他人の幸福の促進に関わる自由があり、そうした活動に携わることこそ本当の幸いであるとの考え方が根底にあります。
自由といえばふつう、何らかの強制や抑圧や脅威などから逃れていること(消極的自由)、
あるいは自分がしたいことをしたり、関わりたいことに携われること(積極的自由)などがイメージされます。
前者の自由はよく「~からの自由」と呼ばれ、後者は「~への自由」として表現されます。
同じように表現するならば、社会的自由とは「~ゆえの自由」といえるでしょうか。
他者と共に生き、他者の幸福の実現に関わりながら生きているがゆえに、人間は自由な存在なのです。
3.11以降、震災後の社会の現実について語れない思想や学問はもはや何の役にも立たないともいわれています。
そうした中、社会的自由という考え方は、これからの自由を考える上でひとつの方向性を示唆しているように思います。
そしてNPOという組織は、この意味での自由を作り出していく可能性を大いに持っているのではないかとも考えています。
目標。
“目標”と一言で想起し考えると、色々な事柄が想像されますが、難しく考える事はありません!
今日習った、英語単語は、なんと言う意味だろう?(今日習った?etc)
“目標”、勉学だけでなく、日常に関しても、“目標”は溢れていて、挨拶をしよう、笑顔で話そうetc。
人間は、目標を持ち“完結”を定め、最終目標への道筋を考えて行動せねば自身を見失います。
ゴールが定められていないと、“完結”へと向かう気持ちが、散漫し自身がどこへ向かうのか見失ってしまいます。
まずは、「誰でも出来るよ!」と侮るべからずで、目標を設定しなんでも構わないので、一つ一つ達成していく喜びが人を少しずつ成長させるための“薬”だと自身は考えます。
自身は、最近“ウォーキング”から“ランニング”を始めて、現在の目標が、“フルマラソン”完走達成に向け、日々走っています。
直近で達成した目標ですが、ハーフマラソン走れて、それが上記“フルマラソン”への気持ちを高められ、今の目標となっております。
「ウォーキング」→「ハーフ」、そして来年は、「フルマラソン」に参加できれば!との希望を旨にランニングをしております。
結びに、文頭でも記載したように、やはり、目標を持って行動する事は、とても重要です。
今日習った、英語単語は、なんと言う意味だろう?(今日習った?etc)
“目標”、勉学だけでなく、日常に関しても、“目標”は溢れていて、挨拶をしよう、笑顔で話そうetc。
人間は、目標を持ち“完結”を定め、最終目標への道筋を考えて行動せねば自身を見失います。
ゴールが定められていないと、“完結”へと向かう気持ちが、散漫し自身がどこへ向かうのか見失ってしまいます。
まずは、「誰でも出来るよ!」と侮るべからずで、目標を設定しなんでも構わないので、一つ一つ達成していく喜びが人を少しずつ成長させるための“薬”だと自身は考えます。
自身は、最近“ウォーキング”から“ランニング”を始めて、現在の目標が、“フルマラソン”完走達成に向け、日々走っています。
直近で達成した目標ですが、ハーフマラソン走れて、それが上記“フルマラソン”への気持ちを高められ、今の目標となっております。
「ウォーキング」→「ハーフ」、そして来年は、「フルマラソン」に参加できれば!との希望を旨にランニングをしております。
結びに、文頭でも記載したように、やはり、目標を持って行動する事は、とても重要です。







